ジャンクションより 
ネットとシネマ、日本とアメリカの合流点から映画を語る
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2006年3月28日
「Good Night, and Good Luck」アメリカン・ジャーナリズムの良心、再び。
最近、局地的に問題になっているNetflixの「差別的扱い」のおかげで、出たてホヤホヤの「Good Night, and Good Luck」のDVDがきました。(品薄のものはヘビー・ユーザーよりもライト・ユーザーを優先するというNetflixのポリシーのことで、これがサービス規約違反だと訴訟を起こしたヤツがいます・・)
アメリカのジャーナリズムが権力に立ち向かう構図の話は、よくあります。古くは「大統領の陰謀」とか、比較的最近のものでは、(実はラッセル・クロウものではこれが一番好きという)「インサイダー」なんてのもあります。そういう意味では、この映画も特に目新しいものではありませんが、現政権への批判を繰り返してきたジョージ・クルーニー(脚本・監督・助演)が、風向きの変わった昨年になってこれを世に出したというところが、ミソというべきなのでしょう。(あれ、彼の助演男優はこれでしたっけ?それともSyrianaでしたっけ??)
1950年代、アメリカでマッカーシズム(いわゆる赤狩り)の嵐が吹き荒れていた頃、スポンサーやテレビ局上層部からのプレッシャーに負けずに、言論の自由を守るべくこれに反対した番組を流し、今日のテレビ・ジャーナリズムの基礎を築いた、エド・マローという実在のCBSのニュースキャスターのお話です。当時のマッカーシーの実際の映像を使い、またマロー自身が番組やスピーチの場でしゃべる台詞も実際そのまま、映像はすべて白黒、音楽は番組で流しているという設定のライブ・ジャズのみで全くの音無し状態が多い、全体に静かで淡々とした凝った作りになっています。
テーマ自体はそういうわけで、目新しいというより、何年かに一度、こういうのを思い出させるものを繰り返しやる、というのが、アメリカなんだろうな・・・という印象です。派手な事件が起こるわけではなく(というか、実はものすごく起こるのですが、それらをすべてわざと淡々と描いている)、台詞の応酬で筋を展開していくのですが、なにせ格調高い昔風の英語なもので、何を言っているかわからない部分が多く、特に某氏が途中、xxしてしまうくだりは、一緒に見ていた亭主と「え?なんで?」と聞きあっても、どっちもわかっていませんでした・・・(泣)
最後の最後まで、淡々とした、むしろ単調なペースで進むお話で、ちょっとついていくのはツラかったですが、例えば今のCBSの「60 minutes」などの番組が、こうした流れをくんでいるのだろうと思ったり、911以降のアメリカの右傾化とメディアの対応などについて、いろいろ考えさせられました。
ちなみに、今まで暑苦しくてあまり好きでなかったジョージ・クルーニーですが、この映画では、ビン底メガネにヒゲなしの姿で、なかなかセクシーでした。主人公はあまり有名でない役者をわざと使い、彼はその主人公、マローを一貫して支えるプロデューサーの役です。
それにしても、昨年の話題作って、なんだか50~60年代のお話ばかり。ブロークバック・マウンテン、カポーティ、ウォーク・ザ・ライン、そしてコレ。この映画のオープニングも、50年代の上流社会のパーティから始まり、「え?なんかこないだのカポーティとおんなじ・・」と思ってしまいました。同じ傾向の映画が固まるもんなんですねぇ。
この週末公開された映画では、久々におこちゃまモノやホラーじゃなくて、Inside Manというのがトップだったそうで、新聞などでも評判上々。劇場に見に行く暇があるかなぁ・・ムリだろうな・・・
「Good Night, and Good Luck」アメリカン・ジャーナリズムの良心、再び。 on アメリカ映画 : 05:06 | コメント (0) | トラックバック
2006年3月13日
「Capote」砕かれた氷の心
前回のエントリーに書いたように、今年のアカデミー賞はなんせ、大衆向けの楽しい映画とは縁がありませんでした。私も見ていないものが多く、見逃しモノを見ようと、久しぶりに映画館へ。
作品賞をとった「Crash」と助演男優ジョージ・クルーニーの「Syriana」は見ていないけれど、もう劇場公開は終わりでやっていない。主演女優リース・ウィザースプーンの「Walk The Line」と助演女優レイチェル・ワイズの「Constant Gardener」はすでに見て、あと残るは主演男優賞フィリップ・シーモア・ホフマンの「Capote」だ、ということで、これを見ることにしました。
この映画は、主人公トルーマン・カポーティが有名な作家でゲイであることと、それを演じたホフマンの演技がすごい、ということ以外、全く前知識なし。授賞式などで少しみた場面では、カポーティ氏がパーティで談笑している場面が多かったので、そういうゲイのライフスタイル映画かと思っていたら、全然違いました。
ソフトな高い裏声で、あまり大きく口を開けずに話すホフマンのジョークがよく聞き取れず、細かい点は大幅にわかっていないので、そのあたりはどうかご容赦ください。
カポーティ氏は、1950~60年代の実在の作家で、「ティファニーで朝食を」の原作者でもあるそうです。映画は、彼がカンサスで起こった一家3人惨殺事件の犯人を取材して「冷血」というノンフィクション小説を書く過程を描いたものです。
カポーティ氏は、登場いきなりゲイとわかる演技ですが、ニューヨークの文壇・社交界では当時すでに名声を得ていました。しかし、華やかな生活とは裏腹に、恵まれなかった生い立ちやゲイであることから、心に冷たい孤独を抱えています。取材相手の犯人、ペリーは、母親がアメリカ・インディアンであることから、差別され貧しい生い立ちで、母親や兄弟が自殺するなど、カポーティと似た孤独と挫折を味わってきており、カポーティは彼に興味を持ちます。で、一方的に彼を差別し続けるカンサスの人々に対して、カポーティはペリーを助けて、真摯に話を聞き続ける・・というありがちな感動モノかと思うと、そうでもない。カポーティは、そうした行為を、自分が小説を書いて賞をもらうだか名声を得るだか、そのための手段としてやっているだけ。そして、ある時点でペリーを突き放し、最後には、その氷の心が砕かれてしまいます。
ゲイであることは、背景の要素の一つではあるけれど、映画の主題ではありません。そして、根底に流れるものは、例えば前に「Brokeback Mountain」でも書いたような、冷たい孤独感のように感じました。ブロークバックが荒野を吹き抜ける風のような孤独感なら、こちらはしばしば登場する雪に凍てついた田舎町の氷のような閉ざされた心です。
場面の一つ一つが丁寧に作られている映画ですが、やはり下馬評どおり、なんといってもホフマンの一人芝居の映画です。ジャーナリスト・作家としての業(ごう)と、他人の心情との狭間で、ゲイの芸術家によくある、あまりに敏感で繊細な感覚をもった心がバランスを失っていく様子が、痛いまでに迫ってきます。ホフマンは、これまでは明るく陽気な、コメディタイプのアメリカ人役が多かったそうで(私はほとんど見た記憶がないのですが・・舞台演劇出身だそうです)、こうした役を彼がここまで演じたことが、多くの人の印象に残ったようです。
とはいっても、ペリー役のクリフトン・コリンズや、カポーティの友人で女流作家役のキャサリン・キーナーなどの脇役も、味のある演技だと思いました。(ちなみに、この女流作家はどこかで見たことがあるとずーっと思っていたら、40-year Old Virginの相手役でした!あまりに雰囲気が違うので、わかりませんでした。)
ただ、確かにいい映画なのですが、場面のつくりやつながりが凝ったつくりで、話の筋を追うのに頭を使うし、何を言っているかわからないし、暗くて冷たいお話だし、今年のアカデミーモノは、どうも苦しい映画が多くて、私にはちょっとツライですね・・・
「Capote」砕かれた氷の心 on アメリカ映画 : 04:14 | コメント (0) | トラックバック
2006年3月11日
オスカーとアメリカの雰囲気
またまたしばらくご無沙汰していて済みません。もうだいぶ前の話になってしまいましたが、今年のオスカーはずいぶん雰囲気が違っていた、という話をようやく書く時間ができました。
ロスの映画ライター、はせがわいずみさんは、在米法人向け情報誌「USフロントライン」の記事の中で、「アカデミー会員の間では根強く『私たちは頭の固い老人ではありませんよ」』と言いたいがために、マイノリティをことさらに持ち上げる風潮がある」と指摘しています。最近のオスカーで黒人俳優のノミネートが非常に多いことがその一つの現れなのだけれど、黒人のオスカー主演賞がすでに珍しくなくなってしまった今年、持ち上げるネタが「同性愛」になったのだろう、ということです。
下馬評No.1だった「ブロークバック・マウンテン」はもちろん、主演男優受賞者フィリップ・シーモア・ホフマンが演じた「カポーティ」の主人公はゲイだし、受賞は逃したものの主演女優にノミネートされたフェリシティ・ホフマンは「トランス・アメリカ」で男性から女性に性転換した人でした。
結局、作品賞は同性愛がらみを避けて、いつもの人種問題作品である「クラッシュ」という、サプライズになりましたが。それに、議論の多かった「ブロークバック」も、アジア人初の監督賞をあげるということで、人種問題的にPolitically correctで無難な解決法となりました。
もう一つ目だったのが、政治がらみ、特に現政権をおおっぴらに批判できる風潮です。特に「シリアナ」で助演男優賞をとったジョージ・クルーニーの大活躍が目立ちました。少しまえに、彼の監督作品である「Good Night, Good Luck」を見て気に入っていたウチの亭主が「なんで?」と聞くので、エンターテイメント誌の受け売りで私が教えてあげました。「クルーニーは、ブッシュ政権に批判的というか、アンチ・ネオコンなことをいろいろ言ったりしたので、しばらく干されてたらしいよ。で、最近になってネオコンが弱体になったおかげで、そういうことが言えるようになって、彼が待ってましたと出てきた、ってことみたい。」
この2作品のほか、助演女優賞の「Constant Gardener」はアフリカのエイズ対策をめぐり、政府と癒着した多国籍企業の話、「ミュンヘン」はまぁおなじみのユダヤ人・イスラエル問題。そして極めつけが、司会のジョン・スチュワートです。オスカーの司会ではいつもほどではありませんでしたが、なにしろブッシュやチェイニーをパロった辛辣な政治ギャグで人気を博している人物。
アフガン戦争だったか、イラク戦争の始め頃だったか、当時人気のあったディキシー・チックスというカワイ子ちゃんカントリー・アンド・ウェスタンのグループが、ブッシュを批判してラジオ局から軒並み締め出しを食らったのが、もう遠い昔の話のようです。
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2006年3月 2日
残念・・「隠し剣鬼の爪」アメリカ公開が・・
このところ、仕事がつまっていてなかなかブログのアップデートができなくて済みません。それでも邦画セントラル英語ブログのほうは、短い記事をなんとか書き続けているのですが、今日はちょっと残念なニュース。
山田洋次監督の「隠し剣鬼の爪」は、3月からアメリカで劇場公開予定、だと思っていたので、「邦画セントラル」に特集記事を書くべぇ・・と、配給会社Tartanのサイトを見たら、この前までトップページにあった写真がなくなっている・・あれっ?サイトでもう一回サーチしてみると、いきなしDVDのデータが・・・
電話をかけて問い合わせてみたら、やはり劇場公開はとりやめで、DVDをいきなり出すことになったそうです。実写映画では久しぶりの邦画のアメリカ劇場公開だい!と張り切っていたのに、しぼんでしまいました。くしゅん・・・
本業の締め切り地獄が終わったら、それでも一応は特集記事を書くつもりですが。
少し前に、ニューヨークタイムズの記事で、「アメリカ映画でも、最近はインディ系に近い小品のほうが、アカデミー賞のラインアップにあがるようになった。そのあおりで、これまでもマイナーだった外国映画は全体にますますシェアを失いつつある。」というのを読みました。もともと、アメリカの劇場売り上げのうち、外国映画の占める割合は1%以下らしいので、もうほとんど存在不可能みたいな状態です。
でも、一方で前にも書いたネットDVDレンタル、Netflixのおかげで、DVDではそれほどひどくありません。Netflixでは、外国映画の貸し出しは全体の5%前後ということで、劇場よりはだいぶ健闘しています。外国映画は、ますます、コストのかかる劇場公開をせず、もうDVDに専念するようになっていくのかもしれません。
残念・・「隠し剣鬼の爪」アメリカ公開が・・ on 邦画セントラル : 13:03 | コメント (0) | トラックバック


