ジャンクションより 
ネットとシネマ、日本とアメリカの合流点から映画を語る
2008年07月28日
「Wall-E」と「崖の上のポニョ」で考えたこと
あらかじめお断りしておくが、このタイトルは少々「釣り」。「ポニョ」については、公開直前に日本を離れてしまったので、見ていない。ブログに皆さんが書いているのを少しばかり読んだだけである。
ピクサーの新作、「Wall-E(ウォーリー)」のほうは、アメリカ公開前に日本に行ってしまったので、こちらに帰ってすぐ、子供たちと一緒に見てきた。私はピクサーの最近の作品は、CGアニメの芸術作品だと思っているので、なるべく劇場で見たいと思っている。ちなみに、日本公開は12月だそうである。
なお、ピクサーの前作、「レミーのおいしいレストラン」に関する私の話はこちら。
ピクサーの映画は、「The Incredibles」あたりから急激に「芸術」っぽくなってきた、と思っている。特に、昨年の「Ratatouille(レミーのおいしいレストラン)」は、いかにも子供向け映画で定番の「アドベンチャー」「戦い」「ヒーロー」といった要素が何もなく、ただひたすら、おいしそうな料理の表現に精魂の限りを尽くすというギーク的なこだわりと、「他の人と違っていてもいいんだ、自分の好きな道を極めろ」「アントレプレナーシップでハッピーエンド」というシリコンバレー的なメッセージ、という組み合わせが面白く、ピクサーの過去の作品の中で私が一番好きなものだ。
それで、今回の「ウォーリー」は、ロボットのラブストーリーだということで期待が大きかった。なんといっても、主人公のウォーリーが、かわいくて面白くて、すごい。特に、レンズが重なった目の光の具合、その機械の目で表現される微妙な感情(特に、重大な場面で「彼は今、感情を失っている」というのがきっちり表現されているのがすごい)、アクチュエーターの音や動きなどに感心。ゴミだらけになった都市(サンフランシスコらしい・・・私はニューヨークかな、と思って見ていたが、息子はゴールデンゲート・ブリッジが見えたよ、と主張している)の感じは、ちょっと前に見た「I am Legend」を思わせるような究極の孤独なのだが、ウォーリーには「Legend」の主人公のような悲壮感がないのが良。人間も逃げ出し、仲間もみな壊れて動かなくなった地球で、毎日たった一人で、黙々とゴミを集めておなかのコンパクターで固めている。ある日宇宙からやってくる「イヴ」、イヴの故郷にいる種々のロボットたち(特に、お掃除ロボットが好き・・・ああいうのが欲しい!)もかわいい。
しかし・・・宇宙に逃げ出していった人間たちは、700年の間に無重力の中で骨が退化して赤ん坊のような体になっていて、完全に自動化された環境で、働くこともなく、動く椅子に座ったまま、画面に映し出される人と話をするだけ・・・というあたりから、現代文明への皮肉みたいなものが見えてくる。そして、大団円に向け、「エコ」的なメッセージが鼻につきだす・・・えーと、また「ハッピー・フィート」ですか?みたいな・・・
息子も同じことを感じたようだ。最近の「芸術」化したピクサーは、大人にも受ける要素をうまく盛り込んできたが、それはつまり、「もののけ姫」あたり以降の「宮崎アニメ」みたいに、「大作」「芸術」「アカデミー賞」「大人受け」「社会的メッセージ」といったものを意識する路線になってきたのかな・・・とふと思った。
Yahoo!Movieのユーザー評価を読んでも、低い評価をつけている人の批判するのはおおむね「エコのメッセージを押し付けられるのはイヤ」という点。(もうひとつの辛口評価は、特に最初の部分のペースが遅い、ということだが、私自身は「芸術を鑑賞」しているので、この点は全く悪いとは思わない。)
ただ、アンドリュー・スタントン監督のインタビュー(HollywoodNewsWireのはせがわいずみさんによるもの、閲覧はメンバーオンリーです、ごめんなさい)によると、作っている人自身は全くそういうつもりはなく、「地球最後のロボット」というコンセプトから出発し、「それをどう表現するか」「ロボットと恋をどう結びつけるか」というふうにお話の要素を積み上げていっただけ、という、例によって、ギーク的こだわりのようだ。ただ、現代文明への皮肉、といった点はある程度意識していたようだが。
この構想をスタートしたのは10年以上前ということなので、今になってちょうど「エコ」が大流行になってしまったのは、そういう意味ではタイミングがよかったのか悪かったのか、微妙なところ。
一方で、「ポニョ」のほうは、宮崎駿が、このところの「大人向け」路線を修正して、本来の「子供向け」を意識して作られたもの、ということのようだ。それが成功しているのかどうかは、見ていないのでなんともいえないが、私の「ピクサーの宮崎アニメ化?」という最初の感想と逆方向なのが、ちょっと面白い、と思ったまで、ということで。
これから見る人は、私のような色眼鏡をつけず、かわいいウォーリーとイヴのラブストーリーと、ギーク的なロボットの映像表現と、「自分の足で立とう、自分の頭で考えよう」という、これまたシリコンバレー的なメッセージを面白がって見るほうが、楽しく見られると思う。
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2007年12月29日
「スウィーニー・トッド」見てきました
激しくご無沙汰しています。本業が忙しくて、なかなか映画を見る暇がありません。でも久しぶりに、日本でまだ公開されていない映画を見られたので、ちょっと書いてみます。ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演の「スゥイーニー・トッド」。先週のクリスマス週末から限定公開(1,249スクリーン、大作映画の半分以下、ぐらいですか・・)されていて、先週末に940万ドル売り上げ、全米第5位。けっこういいペースのようで、今日から拡大公開です。
予想どおりの不思議で不気味な映画でした。もともとは古い物語をブロードウェイのミュージカルにしたもので、妻と子を奪われて無実の罪に落とされた理髪師が、15年後に復讐の鬼となって戻ってくる、というお話です。これほど、怨念と欲と罪が血みどろの話を、ミュージカルにするというのは、どういう人が考え付くのか、と思ってしまいます。でも、考えてみると、日本でもイギリスでも、古い物語にはけっこうこういう残酷な話がありますね。
それでも、クリスマスに公開されて、評判も成績も上々、ゴールデングローブにも主要部門でいくつかノミネートされています。いろいろあるのでしょうが、やはりなんといってもスウィーニー・トッド役ジョニー・デップがすごい!歌の経験はあまりないらしいのですが、元来の美声だし、歌というよりセリフにフシをつけてしゃべっているという感じで、本当に演技がうまい。微妙な表情も魅力的、パワフルで引き込まれます。最初から見るからに悪者なのに、だんだんに見ているほうも彼が好きになってきたところで「うわっ!」・・・・・(いや、これ以上はやめておきましょう・・・)
グレーの中に血だけが赤く見える画面はスタイリッシュ。登場するキャラクターもなかなか面白く(「え?あれが『ボラット』のサーシャ・バロン・コーエン!?」)、薄暗い世界にどっぷり浸れます。私は普段、こういうスプラッター的な映画は見慣れていないので、なんと評してよいのかわかりませんが、強い印象を残す映画ではありました。ジョニー・デップのようなメジャーな人が、こういう映画に出てくれると、私の映画鑑賞の幅が広がるので、嬉しいと思います。
ただ、歌う場面で展開のスピードが落ちることや、なにしろ暗い物語なので、途中で帰ってしまうお客もチラホラいましたが。
どうでもいいことですが、スウィーニーと、彼の悪事のパートナーであるミセス・ラヴェット(ヘレナ・ボナム・カーター)の二人だけが、最初から顔が「白塗り」なのですが、その昔の深作欣二監督の映画では、悪役が必ず白塗りになっているのを思い出してしまいました。なんか、意味でもあるのでしょうか・・・?
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2007年08月20日
「The Slanted Screen」 アジア系男性のハリウッド苦難の歴史
このところ、真田広之さんや渡辺謙さんなどが海外で活躍されるようになって、楽しみですね。しかし、実際のところ、ハリウッド映画やアメリカのテレビでは、これまでずっと、アジア系、特に男性は全く存在感がありませんでした。映画ライターのはせがわいずみさんからも、「ハリウッドでアジア系の仕事がない」とも聞いていましたし、「ラストサムライ」に「沈黙の侍」として出演された福本清三さんの本にもそのことが書かれていました。
そのあたりの実態は?・・・と思っていたところ、日系米国人の友人から、このドキュメンタリー、「The Slanted Screen」(傾いたスクリーン)を勧められました。ジェフ・アダチという日系米国人の方が監督で、数少ない成功しているアジア系俳優や監督にインタビューし、その苦難の歴史を古い映画の場面などを織り込みながら解説しています。あまり気がつきませんでしたが、どうやらその「壁」は、女優よりも男優のほうがもっと高いようで、この作品では男優にフォーカスしています。
無声映画時代、早川雪舟は白人の女性を相手にラブシーンを演じたり、ラティーノやアメリカインディアンなどいろいろな役を演じました。また、戦後になり、ジェームズ・シゲタはハンサムな主人公の役をいくつも演じました。(シゲタさんはこのドキュメンタリーにも登場しますが、すでに年配になられた今でも、ハッと目をひかれるほどのダンディです!)しかし、長いハリウッドの歴史の中で、ロマンティック映画で主役を演じたアジア人男優はこの二人しかいませんでした。
このあと、映画やテレビでは、そもそもアジア人の役というのが全くなくなっていきます。たまにあっても、卑怯な悪役やカッコ悪い道化役で、しかもそれを白人がわざとらしく演じる時代が長く続き、「アジア人のステレオタイプ」が作り上げられました。
70年代にブルース・リーが登場し、今度は「カラテやカンフーのアクション」という役どころが、アジア人のステレオタイプに加わります。それでも、アジア人が「強い男」の主役を獲得できたということで、アジア系には一筋の光明となりました。
さらに最近では「オタク」「ガリ勉」というイメージもステレオタイプに加わり、アジア系には「人種のステレオタイプ」を強く出したタイプの役柄しか来ない、しかもその数は極めて少ない、という状況はまだまだ続いています。
成功の確率が少ないために、俳優を目指すアジア系男性がそもそも少なく、また目指すべきロールモデルがないために途中で挫折することも多くなります。また、監督、脚本家、プロデューサー、映画会社の幹部といった、「作る」側にもアジア系が入り込めず、そのためにアジア系が自然に存在するような脚本が作られない、という事情もあるそうです。
映画やテレビは、一般の人々への影響力が大変強いのは、アメリカも日本も同じ。その中でアジア系のイメージが低いことは、アメリカに住むアジア系の子供たちの自己評価が低くなったり、マジョリティのアメリカ人が、アジアの人や国に対して偏見を持つことにつながってしまいます。このため、アジア系の映画人たちは、新人制作者や俳優のための学校を作ったり、自分たちの手で作った映画を上映する映画祭を催すなど、団結して努力を続けています。
タフな悪役を演ずることの多いケリー・ヒロユキ・タガワ氏が、インタビューの中でこんなことを語っておられます。「私が悪役をやることで、アジア系のイメージが悪くなると言って非難する人がいる。でも、アジア人に来る役は、弱虫のビジネスマンかタフな悪役しかない。それなら、弱虫よりもタフな悪役のほうがいい。それでも演じる役がある限り、自分はできる限りやる。状況が悪いのはわかっているが、『なんとしてでもやりぬく』とつい思ってしまう。これは日本人としての自分のDNAかもしれない。ほら、日本では受験生がそういうことを書いた鉢巻をして頑張るでしょ。」
ここから先は私の感想ですが、そんな中で、ここ数年「ラストサムライ」や「SAYURI」など、登場人物はほとんどがアジア人でそれを演ずるのもアジア人、ラブシーンもあるし種々のキャラクターが登場する、といった映画が多額の予算で作られるようになったのは、それだけでもすごいことだと思います。それは、こうした地道な努力が実ったというより、日本や中国などアジア諸国がハリウッド映画の「お客さん」として存在が大きくなってきたから、というのが現実でしょう。それでも、状況は少しですが良くなってきているように思いますし、それがアジア人に対する「違和感」や「偏見」の解消につながるのは、すばらしいことだと思います。
地道に頑張ってきた日系米人の俳優さんたちにとっては、日本のトップスターがひゅーっと飛んできて主役や準主役をさらっていくことに対して、どんな思いでおられるか・・・ということもちょっと考えてしまいます。「それが状況の改善に役立つなら・・」と思っていただけているのでしょうか。
一方で、受け入れるアメリカの映画やテレビの業界人にとって、日系米人か日本人かの区別はあまりなく、たとえ日本のトップスターでもまだまだ壁が厚いことは同じです。上記2作も、「硫黄島からの手紙」にしても、皆「日本が舞台」のお話。例えば、韓国系女優サンドラ・オーが映画「サイドウェイズ」で、別にアジア人である必要はない単なる「セクシーなシングル・マザー」を演じたような、そんな「自然」な役回りというわけにはいかないのが現実です。
先日、読売の記事に「ハリウッドで日系俳優が不足して困っている」という記事がありましたが、今はちょうど、そういった「過渡期」にある、ということなのでしょうね。そんな中、ハリウッドで努力を続けておられる日本の俳優さんたちを、ファンとして引き続き応援していきたいと思います!
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2007年08月13日
「ラッシュアワー3」 大笑いの影に「兄弟」アリ
真田広之さんが悪役で出演する、ということで話題になっている、ジャッキーチェン・クリスタッカーの最新作「ラッシュアワー3」。事前の映画評論家の批評はさんざんでしたが、オープン直後の興行成績は上々で週末トップは間違いなしとか。初日の勢いが少々衰えていて、前作「2」には及ばない成績だそうですが、十分期待どおりのヒットだったのではないでしょうか。ちなみに、種々の映画サイトでファンの評価は上々です。
私も初日金曜日に見てきました。ここでも以前書きましたが、私は真田さんのファンなのでついついその目で見てしまいます。ここにはあえてその視点で見た映画の感想を書きますので、客観的な評論は、本職の評論家の方のものを読んでくださいね。
一言で言うと、「真田さんの多面的な魅力を全部引き出してくれて、ブレット・ラトナーさん、ありがとう!」ということですね。軽い身のこなしでの久々のアクション全開もさることながら、単純な悪役じゃない、悲しい面をも表現する演技力、セクシーな表情と声。なんせ、今売り出し中ですから、これだけ全部の機能をきっちりデモしてくれるのは本当に嬉しいことです。(予告編ではあまり真田さんが出てきませんが、これは多分撮影スケジュールの関係で、真田さんの出演場面が予告編制作に間に合わなかったせいでは?と思われます。出番、多いです。)
映画全体としては、前作よりももっと「お笑い」要素が増えて、とにかく最初から最後まで大笑い(それもやや大人のジョーク多し)、オチでも観客から大拍手が出るオチがなかなかいい!そして、キーワードは「兄弟」ってことじゃないか、と思ったのでした。
予告編を見ても、日本でのジャッキーのインタビューでも、「兄弟」という言葉がよく出てきます。主演二人も、アメリカでのインタビューの中で、「第一作ではふたりは他人、第二作では友達、そしてこの第三作で兄弟になったんだ」と語っていますし、真田さん演ずるケンジも、ジャッキー演ずるリー刑事と兄弟同然に育った仲。ケンジの言う「兄弟」のセリフには、二人の孤独と悲しみが透けて見えて、とても印象に残っています。(満員の映画館の笑いの渦の中、こんなこと考えたのは私だけだったと思いますが・・・映画は自分の好きなように見ればいいんですよねっ!)
真田さんは、ここしばらく、ジェームズ・アイボリー監督など、公開規模の小さいアート系の作品が続いてきたために、多くの人が見る映画には目立つ役で出ていなかったのですが、これでたくさんの人に知られることでしょう。嬉しいことです!
さて、この兄弟たちの運命は??ということで、皆様、日本で公開されたら楽しんでくださいね。
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2007年06月02日
真田広之さんが「Speed Racer」に出演 -で、ちょっと一言言いたい!
またまたご無沙汰しています。
ここではもうバレバレですが、私は真田広之さんのファンで、このところ真田さんが立て続けに外国映画に出ているのがとっても楽しみです。
で、彼の新作映画の発表が、つい昨日ドイツであったのですが、どこを探してもその情報は日本のプレスには出ていないのです。
映画は「Speed Racer」。日本のその昔の名作アニメ、「マッハGoGoGo」の実写版で、マシュー・フォックス、エミール・ハーシュ、スーザン・サランドン、ジョン・グッドマンなどが出演。監督は「マトリックス」シリーズのウォシャスキー兄弟。映画そのものの日本語情報は、わずかにネットで見つかります。
で、ちょっと一言言いたいのです。この映画の出演者として、先月半ばになって、韓国のRAINという、若手スターが発表されました。そのニュースは、私が読める日本語でも英語でも、ネットにいっぱい出ています。今朝には、ドイツでの記者会見の様子まで、韓国サイトにビデオがアップされています。
でも、どうして日本のメディアは、一言も真田さんのことを書かないのでしょう???常々、日本のメディアは、真田さんや渡辺謙さんのように、海外で活動している俳優さんに関しては関心が薄いなー、と感じています。野球選手には、ものすごい数の記者を日本から送ってくるのに・・・
今回は、原作も世界に知られた日本の代表的アニメなのに・・・
それで、アカデミー賞にノミネートされたりすると、訳知り顔で「がんばっていただきたいものです」なんてコメントしちゃうコメンテーター。無責任、に聞こえるのは単なるひがみでしょうか??もっと、メディアも普段から応援してあげようとか、韓国みたいに英語サイトで積極的に宣伝しようとか、そういうのはないんでしょうか?「実写はダメだよ、やっぱりアニメだよ」とか言って、アニメの国際普及にワケのわからない予算つけちゃう日本のお役所は、ほんとにワケわかってるんでしょうか?
要するに、取材力というか、情報収集力がない、ということなのでしょうか?
なぜかよくわかりませんが、ちょっと言いたかったもので。失礼しました・・
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2007年03月28日
「ロッキー・ザ・ファイナル」 時代を超えた元気映画
またまたご無沙汰です。今出張に出ていますが、途中の飛行機で「Rocky Balboa(邦題「ロッキー・ザ・ファイナル」)をやっていました。えー、いまさらロッキー?とも思ったのですが、けっこう評判がよかったのと、日本でもうすぐ公開というのを思い出し、見てみました。
いやー、お見それしました。めっちゃ面白かったです。映画の質という点からいって評論家が何と言っているか知りません。ストーリーも王道を行っていて、そのまんまです。でも、かなりじーんときて涙が出てきました。こういう、素直に元気が出る前向きな映画って、しばらくアメリカでは見ていなかった気がします。(その点、むしろ日本映画のほうが素直で元気が出る映画、たとえば「フラガール」のようなものが多いようにも思います。)
まずは、老体のロッキーがどうして無謀な再挑戦をするに至ったかというストーリーが、なかなか凝っています。荒唐無稽といえないこともないですが、それなりに説得力があり、共感がもてます。再挑戦のために鍛え直す過程から試合にかけては、もう待ってましたの十八番。ロッキーのオリジナルにエキサイトした世代には、涙と興奮なしには見られません。そして、息子との関係が重要なのですが、自分が親となったこの世代には、まさにカタルシス、だと思いました。
再試合のきっかけとなる一件から試合まで、ホンモノのアメリカのスポーツチャンネルESPNとそのホンモノの人気キャスターが登場するのも、スポーツ好き、ESPNファンのお父さんたちにはたまりませんね。
試合の場面では、思わず手に汗にぎってロッキーを応援してしまいます。正直言って、今まであまりシルベスター・スタローンは好きではありませんでしたが、見直しました。彼のナマの肉体も見ものです。60歳だそうですね。うぁー、信じられません。彼の熱意が感じられます。若い世代はこの映画をどう見るか、評価するのか、とても興味がありますが、私とそれよりちょっと上の世代、特にお父さんたちには、見事にツボを押さえた、同世代にエールを送る、元気の出る映画だと思いました。
(なお、私はプロの評論家ではなく、アメリカに住む一映画ファンです。上記はファンとしての個人的意見です。)
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2007年02月12日
「守護神」アメリカ版「海猿」(?)のリアリティと迫力
アメリカの海上保安庁にあたるUSコースト・ガードを題材にした、ケビン・コスナー主演の「守護神」。アメリカではすでに昨年劇場公開されており、日本の「海猿」に似てるとか似てないとかいう話が少しありました。劇場では見逃していたのですが、日本でもちょうど今週末から公開ということで、DVDを借りて見てみました。なお、私は「海猿」は映画も両方、テレビドラマもアメリカの日本語放送で放映されたものを全部、かなりはまって見たクチです。(なお、私はプロの映画評論家ではなく、下記は一ミーハーファンとしての感想、ということで読んでください。)
似たような素材なので、まー似たような場面や設定が出てくることは仕方ないですね。(「海猿」は潜水士で、「守護神」はスイマー、という違いはあります。)しょっぱな、海の中から、差し込んでくる陽光を見上げる場面が出てきて、「おー、海猿みたい」と思いました。正直なところ、ストーリーそのものは、「悪くない、特になぜ『守護神(Guardian)』なのか、といったあたりのオチもなかなか感動的、しかしなぜかお涙頂戴にもかかわらず泣けなかった」という不思議な感じでしたが、厳しい訓練や危険な救助の場面がとてもリアルで迫力があり、それだけでも見る価値はあるかな、と思いました。
DVDの特典で、メイキングや実際のコースト・ガードの活動の映像がついており、これはなかなか面白かったです。本編のクレジットで、ルイジアナやニューオーリンズ関連のものが多かったので、「ハリケーン・カトリーナの救助で活躍したコースト・ガードが、これをきっかけにリクルート宣伝用に作ったのかな?」とも思ったのですが、実はそれよりももっと前から企画は始まっていたそうです。たまたま、ニューオーリンズで撮影用の巨大「波のプール」セットを作ったけれど、カトリーナがやってきて使えなくなり、他の場所に移した、とのこと。そして、日本の「海猿」と同様、コーストガードは全面的に撮影に協力して、訓練や救助の場面は本当にきめ細かく、現実を反映しているそうです。若い方の救助士を演ずるアシュトン・カッチャーは、撮影の前8ヶ月にもわたって激しい訓練を受け、本当に一流の救助士並みにまでなった、とのことでした。「海猿」でも、撮影前には泳ぐこともできなかった佐藤隆太さんが、テレビドラマ撮影前2ヶ月前から訓練を開始して、撮影中ずっと訓練を続け、潜水士の場面もスタントなしてご自分で演じられた、とおっしゃっていましたよね。(これも、昨年のニューヨークでのインタビューより)
(ちなみに、このインタビューについてはこのブログではご紹介していませんでした。昨年6月に、ニューヨークで「Limit of Love 海猿2」が上映されたときに、監督と佐藤さんにインタビューしたものをHoga Centralで英語記事にしてあります。)
「海猿」のおかげで、日本の海上保安庁は志望者が20%増えた、と、このインタビューで羽住監督がおっしゃっていましたが、アメリカのコーストガードでもそういう効果があったのでしょうか?残念ながら映画はアメリカではそれほど大ヒットではなかったですが、命をかけて人を助ける仕事をなさっている方々に、感謝の思いを馳せました。
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2006年12月08日
今年のオスカーは日本勢が活躍するかも??
私は映画業界のインサイダーではないので、ウェブで見たり、映画好きの友人などからの話を総合して、という程度の話なのですが、今年はオスカーのノミネーションでは、かなり日本関係がからんでくるかもしれないな、という期待があるようです。
まずは、「硫黄島からの手紙」。ほぼ全編字幕になるため、「父親たちの星条旗」の影に隠れてしまうだろうと思っていたのですが、映画好きの友人によると、「星条旗」よりも業界の前評判は高いらしいのです。今年のオスカーの選考対象に入れるべく、本来は来年2月公開の予定を、ロスとニューヨークだけで12月中に限定公開することにしたのも、期待の表れかもしれません。
作品と監督のほか、主演男優として渡辺謙さん、そして、下馬評では「他を圧倒して目立つ」と言われている二宮和也さんが助演男優にノミネートされるかも・・・と言われているそうです。主演男優というと激戦になりますが、助演は外国人・マイノリティ・子役・老人役など、いろいろな人に門戸が開かれているので、いけるかもしれませんねー。
それから、↓でもご紹介した、「バベル」の菊池凛子さんが、助演女優ノミネートの予想があるそうです。これも、助演女優というのは毎年「穴場」で、比較的競争が少ないので、可能性があるかもしれません。凛子さんは、「オールヌード」の場面でつい目が奪われてしまうかもしれません(といっても、全然いやらしくなく、むしろ「ド迫力」です)が、聾唖で孤独の怒りを宿したティーンを、迫真の演技で演じておられます。がんばれ!
最後に、日本勢の得意分野であるアニメーション部門で、「パプリカ」。今年は「カーズ」や「ハッピー・フィート」などの大物が多いのに、「パプリカ」は選考対象に滑り込む目的の小規模上映しかされていないので、受賞はまず無理のような気がしますが、ノミネーションにははいるかもしれませんね。
いずれも、受賞までいくかどうかの可能性は全くわかりませんが、ノミネートされるだけでも嬉しいですよね。がんばれ!!
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2006年11月20日
「Happy Feet」踊りださずにはいられない、荒唐無稽なペンギン・ファンタジー
ニューヨークのクリスマス・シーズンの風物詩の一つに、ラジオ・シティ・ミュージックホールのクリスマス劇があります。子供向けの定番ショーではあるのですが、さすがエンターテイメントでは世界最高峰のニューヨーク、踊りも歌もすばらしく、それにも増して、後半のキリスト生誕劇ではホンモノのラクダや羊が舞台に登場し、ものすごく大げさでドラマチックなショーアップをしているのが印象的です。日本から観光に来てこのショーを見た友人は、終わったあとあんぐり口をあけたまま凍っていたのを覚えています。
今週末から全米公開になった、子供向けCGアニメの「Happy Feet」を見て、このときのことをつい思い出してしまいました。予告編で、スペイン語なまりの「マイウェイ」を歌いながら踊るかわいいペンギンたちを見て、楽しそうな映画ではあるけれど、最近やたら多い動物もののドタバタCGアニメの一つか、と思っていたら、どっこい・・・
この皇帝ペンギンの世界では、歌が上手であることがペンギンの価値を決めるのですが、主人公マンブルは、生まれつき歌が下手で、仲間につまはじきにされます。歌は下手だけれど、タップは大好きなマンブル、隣町のハッピーなスペイン語なまりの仲間たちに元気づけられ、人間が捨てたゴミが首にからまって苦しむ友達を助けるために、冒険の旅に出ます。
結局、マンブルが最後には歌が歌えるようになって、仲直りしてみんなで楽しく踊って終わり・・かと思いきや、意外で壮大な結末が用意されています。オチは荒唐無稽ですが、だいたいペンギンが歌って踊るファンタジーの世界なんだから、もう何でもあり。シリアスというべきか、子供たちに何かを教えようとしているのか、なんと言うべきかわかりませんが、すごい結末です。
最近の子供向けCGアニメ長編では、昔のいわゆるマンガ的キャラでなく、リアルな動物の毛並みや羽毛、体の動きなどを写し取り、それを生かして面白く動かすというのが主流ですが、これもなかなかうまくリアルと虚構を組み合わせていて、「森のリトルギャング」などよりももっとリアルです。また、アメリカの豊かなミュージカルの伝統を受け継ぐ歌と踊りの場面を生かすのも、最近よくある手法ですが、この映画では例えば「チキン・リトル」や「ロボット」と比べても、質・量ともによくできていて、盛り上がる場面では、子供たちは思わず一緒に踊っていました。ちなみに、この映画を作っている人たちは、私と同年代なんだろうな・・と思わせる選曲もなんとも言えず、クイーン、アース・ウィンド・アンド・ファイア、スティービー・ワンダーとか・・・あ、これって親対策か!?
「カーズ」でも思いましたが、自分たちのCG技術を「こんなことできるんだぞ、どぉだぁー!」と言わんばかりの壮大なCGの場面は、ここでも健在。宇宙から南極へとズームインするオープニング、アザラシやシャチとの水中追跡、目が回るほどのペンギンの大群が踊る場面、南極の地吹雪や暗い空から光がさしてくる場面など、実写でもテレビでも決してできないスケール感が満載。
主人公のペンギンの顔が、声をやっているイライジャ・ウッドに似せてあるのもかわいいし、最近本人が出るより声の出演のほうが面白いロビン・ウィリアムズのメキシカン風ペンギンも最高です。
マジメっぽいテーマも感じさせるストーリーではありますが、どこまでそれをマジメに取るべきなのかそれともこれはよくできた皮肉なのか・・・思わず悩みそうになりますが、たぶんそんなこと悩まずに、子供たちと一緒に踊るのがいいんでしょうね。予想外に面白い子供映画でした。
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2006年11月09日
「バベル」届かない言葉、甦る絆
菊池凛子さん@ロサンゼルス
このところ、「日本語ブログ界のスティーブ・ジョブス」(シリコンバレーとハリウッドを両方カバーする、ってだけです・・)を目指しているのですが、根がハイテクおたくの私にはその道はなかなか厳しいのが現実・・・
と言いつつ、先週の週末から今日まで、ロサンゼルスで開催されている「American Film Market (AFM)」を取材してきました。国際的な映画の見本市で、アメリカだけでなく世界各国から、数多くの映画が出品され、バイヤーと販売交渉をする場です。
こちらの話は、後ほど英語の記事で詳しく書きますが、そのついでに、昨夜はロスのUSジャパン・ソサエティという非営利団体主催の「バベル」上映会があり、出かけてきました。ブラッド・ピットとケイト・ブランシェットが主演、日本編には役所広司さんも出ているのですが、今年のカンヌ映画祭に出展されたということで、私的にはニガテな、難し~い芸術映画ではないかと恐れおののいておりました。(たしか先週末からアメリカでの一般公開も始まっています。)
上映前にちょっとしたレセプションがあり、そこにはなんと、東京編の主役ともいえる菊池凛子さんがいらしていました!すらりと背が高く、華やかな日本人離れした大人っぽい顔に見えたのですが、なんと映画の中では、モロに日本の女子高校生、しかも聾唖という役柄で、言われなければこの人とはとても思えませんでした。いやー、役者さんって、すごいですね!
映画は、モロッコ、アメリカとメキシコの国境、それに東京という、3大陸のはるか離れた土地で、一台のライフル銃が次々と引き起こす悲劇を描いています。菊池さんはご挨拶の中で、「コミュニケーションができないことを描いている」と仰っていましたが、確かに主なテーマは、「届かない言葉、伝えたくても伝わらない悲しさ」ということのように思いました。言葉の通じない異国、というだけでなく、夫婦や親子の間で気持ちが通じていなかったり、権力をもつ立場の人にいくら言ってもわかってもらえなかったり、耳が聞こえず話ができない女の子の悲痛なフラストレーションだったり、といったいろいろな「ミスコミュニケーション」が出てきます。
悲しくつらい出来事がつぎつぎ起こるのですが、そんな中でわずかに残った希望の絆が甦っていく。「バベル」というのは、旧約聖書の中で、神に届くほどの高い塔を建てようとした人々が、神の怒りに触れてお互いに言葉が通じなくなってしまう、というお話の中の塔の名前ですが、あらゆる悪いものが出てしまったあとに、最後に希望が残った、ギリシア神話の「パンドラの箱」のようでもあります。
その場で見た人何人かと話しましたが、東京編の描写は、外国人の監督が撮った日本としては、おそらくベストといえると思いました。偏らず、とても自然な東京と日本人だったと思います。それぞれの場面にあった音楽が流れますが、最後の印象的な東京の場面は坂本龍一さんの物悲しいピアノ曲。陳腐な東洋風の音楽でなく、あの曲を使ってくれたのも嬉しかったです。意外な場面の展開、役者さんたちの演技も含め、美しい映画でした。
菊池凛子さんの演技も、すばらしかったと思います。今、英語も勉強中とか。是非、世界で活躍していただきたいと思います。
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2006年10月22日
「ディパーテッド」息詰まるスパイとスパイの心理戦
久々の映画館、今日は「父親たちの星条旗」が始まるのですが、同行の亭主が「こっちのほうがいい」と言い張る上に、朝読んだ地元紙サンフランシスコ・クロニクルでは「星条旗」の評価が意外に低く、それに対して「Departed」のほうはもっぱら評判がいいので、2週間前からやっているこちらの方を見に行くことにしました。(正直なところ、個人的にはアメリカものでも日本ものでも、第二次世界大戦の映画ってどうも苦手です。「男たちの大和」も「出口のない海」も、ハリウッド得意のユダヤ人迫害モノも見る気がしません・・)
ディパーテッドは、香港映画「インファナル・アフェア」のリメークで、こちらのほうも、大好きなトニー・レオン様が出ていることもあり(といってもまだ見ておらず、こんどNetflixで借りる予約をしていますが・・)、それも気になっていたところ。
さて、お話のほうは、警察がギャングに送り込んだスパイと、ギャングが警察に送り込んだスパイ、という二人が、お互い誰だかわからないまま戦う、緊迫感いっぱいの犯罪映画です。「タイタニック」の頃の王子様はどこへやら、最近すっかり悪党顔が板についてしまったレオナルド・デカプリオのほうがいいヤツ、善人顔のマット・デイモンが悪いヤツ、という配役が面白いし、なんたってジャック・ニコルソンの究極の悪人ぶりがすごいです。マーティ・シーンやアレック・ボールドウィンなどの脇役陣もいい味出してます。汚い言葉で機関銃のように話す台詞やジョークは、ところどころわからないながら(^^;)切れ味いいし、血がいっぱい流れて人がばんばん死ぬ映画の割りにドライで軽快なテンポは、同じマーティン・スコセッシ監督の「グッド・フェローズ」みたいな、ミョーなキモチよさがあります。
私としては、お互いにギリギリのところまで追い詰められたところでのピリピリした心理戦の描写が好きでした。二人がそれと知らずに交差する点に位置する女性がサイコロジストというのもなかなかしゃれてます。画面もよくできていて、何かが起こりそうな緊張感やどうしようもない悲哀感が伝わってきます。
先の見えない展開で、満員の観客が「おー!」とあちこちで驚きの声をあげるのも楽しかったです。(だいたい、子供映画以外で、これだけたくさん人がいる映画館で映画を見たのは久しぶり・・)
日本では、来年1月に公開予定のようですね。まー、人がばんばん死ぬ映画はそんなに何度も見たくないので、これ一回でいいですが、評判どおりの面白さだったと思います。
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2006年09月28日
「上海の伯爵夫人」を蒸し返す
ジェームズ・アイボリー監督作品「上海の伯爵夫人」が日本では来月公開ということで、ぼちぼち情報が出てきているようです。そこで、1年前の話を今更蒸し返してご紹介することにいたしました。
昨年の10月、この作品の米国公開を前に、米国内メディアとして、キャストとスタッフに取材することができました。数人の記者が円卓を囲んで、次々とやってくる出演者や監督に話を聞くスタイルで、スターたちもプレミアなどのイベントのような盛装でなく、リラックスした格好で気さくに話をしてくれました。主演のレイフ・ファインズは、記者会見でもなんだか映画の中と同じ、目の見えない人のようなしぐさや動きをしていて面白かったし、ナターシャ・リチャードソンは普段でも映画と同じように本当に上品な美しさで、「ベルばら」のオスカル役をやったら素敵だろうな~、などと勝手に思っていました。
その中で、私のお目当てはもちろん真田広之さん。他のキャスト、アイボリー監督、脚本のカズオ・イシグロさんなどのお話も交えて、真田さんのインタビュー記事(英語)を「邦画セントラル」に掲載してありますので、ご紹介しておきます。この役を「自分の運命だ」と感じたこと、上海で「役作り」と称してレイフと飲み歩いた話、「プロミス」で覚えたアヤシイ中国語を駆使して、英語しかできないキャスト・スタッフたちと現地の人たちの間で「英語ー中国語」の通訳をしてあげちゃった話、電話でアイボリー監督に「オーディション」されちゃって大汗かいた話、セリフがものすごくクラシカルで大仰な英語なので舌をかみそうになって苦労した話、などなど、いろいろ面白いエピソードが満載です。
ちなみに、いつもは太陽がさんさんと輝くロサンゼルスなのですが、この日は雷まで鳴る土砂降りの雨で、プレミアも屋外の赤じゅうたんはなし。真田さんは「雨男」として有名だそうですが、アメリカでも効果絶大(笑)、ご自身でも「グッド・ラック・レイン」と笑っておられました。
「邦画セントラル」真田広之さんインタビュー記事
「映画生活」ブログ 2005年11月2日
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2006年09月24日
「ウェディング・クラッシャーズ」若い子向きなのかなぁ・・・
この映画も、ようやくもうすぐ日本で出る(といっても、劇場なしでDVD直行らしいですが・・)と聞いたので、Netflixで借りて見てみました。「40歳の童貞男」など、割と苦手にしていたアメリカのコメディでも面白いのがある、と気がついたし、これもアメリカではずいぶんヒットしたらしいのでちょっと期待。
出だしで、主人公二人が次々とアカの他人の結婚式に紛れ込んでナンパしまくるところはテンポがよくて、こりゃーいいぞ、と思ったんだけど・・・
その後はところどころ笑えるんだけど、どうもスカッとおなかの底から笑えないな~。
私は対象年齢から外れていて、もっと若い人向きなのかもしれません。何かを皮肉ったり時流ネタを入れたりという感じではなく、登場するヘンな人たちのキャラと、主人公二人が、大物政治家の娘たちに本気で恋をしちゃうラブコメへの共感で引っ張る映画なのだろうと思うのですが、どうも私には、どの登場人物にも感情移入できず、イマイチ不完全燃焼でした。たくさん登場するヘンな人たちも、ストーリー展開の上で重要な役割を果たすことのない人が多く、もったいないというか、不完全燃焼というか・・・
・・というか、要するに私の好みのタイプの男性が出ていない、というだけのことかもしれません。(爆
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2006年09月13日
「Little Miss Sunshine」負け組家族の悲しくもおかしい物語
今や、日本でも局地的に大人気を集める「40歳の童貞男」ですっかり男になった、じゃなくて男をあげたスティーブ・カレルが出ているというので、この映画、見に行ってきました。
一応コメディなのですが、「童貞男」みたいな抱腹絶倒おバカ映画ではなく、どうやらサンダンス映画祭に出たということらしく、アメリカの「勝ち組礼賛」の風潮を皮肉ったひねった笑いで、なんとなく身につまされるようなところもあり、ちょっともの悲しい気分にもなりました。
お父さんは「どうやったら勝ち組になれるか」のコーチングが仕事。自分のやり方を押しつける親父、ヒステリーを起こすお母さん、アメリカ版ひきこもりの兄、美少女コンテスト優勝を夢見るちょっと太めの妹、下品でヤク中だけど妹をとってもかわいがっているじいさん、というほとんどぶっこわれそうな家族。スティーブ・カレルはお母さんの弟で、ゲイの学者フランクという役。仕事上のライバルに恋人(もちろん男ね)も名声も取られて自殺をはかり、再発しないよう監視するためにこのこわれかけ家族に連れて来られます。妹が美少女コンテストに出場するため、これまたこわれかけの古いバン(こういうときはやっぱりフォルクスワーゲン)に全員乗って、アラバマからはるばるカリフォルニアまで旅をするお話です。旅の途中でますます負けがこんでくる家族、そしてほんとにどーしよーもない大人達の中で、唯一、この妹だけはきっとまともだ、と信じていると・・
いやいや、予断を許さない展開でした。というか、最後の最後はやっぱりそうか、という終わり方ではありましたが。そういうわけで、スカっと笑える映画ではなかったです。途中、家族どうしで怒鳴り合う場面が多く、見ているほうもイライラしてきます。でも、これってアメリカ人の家族では実はよくある光景なんですよね。日本人はあまり、これほど感情を露わにして怒鳴り合わないと思うのですが、表に出すのがアメリカ人。怒鳴り合ったあとはすっきりしてる、なんて気楽なもんじゃありません。
アメリカで言う「winner, loser」というのは、まさに日本語の「勝ち組、負け組」と同じ響きがあります。これと、「家族」という言葉が、この映画のキーワードのようです。
そんな中、自殺未遂の癒し系フランクおじさん。黙って登場する最初の場面でもう思わず笑ってしまったのは、先入観でしょうか・・・「童貞男」のバカ全開のオーバーな笑いだけじゃなくて、こんな微妙な役もやるんですね。今度は、彼がブレークした役、テレビドラマ「Office」というのも見てみよう、と思います。他の家族達も、「あー、ほんとにいるよね、ああいう人!」と思わずヒザを叩いてしまうキャラばかりでそれぞれに名演技です。やや複雑な気分で映画館を出ましたが、よくできた映画だと思いました。
<9/20>
この作品、東京映画祭で上映されるようですね。「40歳の童貞男」とは全然ちがう魅力のスティーブ・カレルを是非お楽しみください!
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2006年08月11日
「カーズ」vs.「森のリトルギャング」にみるハリウッドの苦悩
日本で公開された「森のリトルギャング」の売れ行きはいまいちだそうです。今年の夏は、「ゲド戦記」などのアニメ大作が多かったなどの理由もあるのでしょうが、例えばピクサーの「カーズ」とこちらを並べてみると、なんだかハリウッドの抱える悩みも見えるようです。
「森」のほうが、どちらかというとアメリカでは評判が高かったのですが、それはアメリカ人の生活に密着した毒のあるジョークや、最近の子供たちが自分の生活との親近感がわくような、そんな場面やキャラが多く、またお話のテンポや間合いもアメリカ人が慣れているものでつくられており、笑いも共感も取りやすかったからだと思います。これに対して、「カーズ」のほうは、なにせディズニー・ピクサーですから、最初から世界が相手のマーケットで、現実離れした「ファンタジー」であり、どんな文化の人でもわかるような筋立てで、お話のテンポはアメリカ人の普通の感じからするとスローになっています。一応、古きよきアメリカみたいなものを舞台にしてはいますが、やはり普遍的な世界です。だから、日本などでも受けやすい反面、アメリカではそれほどの新鮮味を感じられなかったのではないかと思います。
アメリカ本国での劇場売り上げやDVD販売の低調で、ハリウッドはこのところ苦戦続き。海外市場が相対的に大きくなるにつれ、映画の中身はますます「アメリカ離れ」せざるを得ず、このところ大作映画といえば、「スターウォーズ」だの「スーパーマン」だの「パイレーツ・オブ・カリビアン」などといったファンタジーものばかりが多くなっています。そうすると、アメリカ人の観客は、ますます映画を離れて、インターネットやゲームに時間を費やしてしまう・・という悪循環に陥りそうな気がします。
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2006年07月27日
「Guardian」と「海猿」の関係???
だいぶ時間がたってしまいましたが、6月にニューヨークで「LIMIT OF LOVE - 海猿2」の米国初上映がありました。先日お知らせした「Always」と同じ、New York Asian Film Festivalで上映されたもので、そのときの短いインタビューをもとに英語の記事を書きました。今回は自分でインタビューしたわけではないので、あまりいつもの調子ではかけなかったのですが、よろしければご参照ください。
ところで、この関連で、ある米国人ファンから、「Guardian」という、ケビン・コスナー主演の映画(アメリカで9月封切り予定)が、「海猿」によく似ているようだ、との情報をいただきした。予告編がこちらで見られます。
Guardian予告編
("TRAILER"をクリック)
似ているとしたら、一作目の映画だと思いますが、これってどうなんでしょう?リメーク権を売ったのでしょうか?それとも、パクリ?それともたまたま予告編がそう見えるだけ?どなたかご存知でしたら教えてください。
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2006年07月24日
「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」妙にタイムリーだった、メキシコ国境の友情と孤独
しばらく、夏休みで子供を連れて日本に行っていました。最近は国際線の飛行機で、10本以上の映画から好きなのを選んで見ることができるので、まだDVDの出ていない、見逃していた映画がいくつか見られたのでラッキーでした。例によって、アメリカでは見られない邦画を中心に見たのですが、帰りの便で「メルキアデス・エストラーダ」があるのを見つけて、見てみました。
日本でも今年春にすでに公開済みのようですね。昨年のカンヌで賞をとったこと(男優と脚本)と、「Men In Black」「The Fugitive」などでおなじみのトミー・リー・ジョーンズが主演ということ以外、ほとんど前知識なし。カンヌで賞、ということは、アメリカ映画でもあまりハリウッド的な派手なドンパチのない、難し目の独立系っぽい映画だろうとは予想していました。
その意味では予想通りでした。なにせ、飛行機の小さい画面だし、10分おきに隣で「ママー、おしっこー」とか言うやつがいるために、落ち着いて見られなかったので、おそらくはこの映画本来の味の半分ぐらいしかわからなかったと思います。それでも、かなりインパクトがありました。
孤独なカウボーイ、ピート・パーキンス(ジョーンズ)の友人、不法滞在メキシコ人メルキアデス・エストラーダ(フリオ・セサール・セディージョ)が射殺された。ピートは、彼との約束を守るため、メルキアデスを殺した国境警備隊員マイク・ノートン(バリー・ペッパー)を脅迫し、いったん埋葬されたメルキアデスを土の中から掘り出させる。ピートとマイクと、メルキアデスの死体は、彼の美しいメキシコの故郷の村を目指して奇妙な旅に出る。
カンヌ出品もアメリカ公開も昨年でしたが、ちょうど今年の5月頃には、アメリカで不法移民対策強化に反対して大きなデモが各地であるなど、このところ不法移民問題が話題になっています。私の住むカリフォルニアや、映画の舞台になったテキサスでは、メキシコと国境を接しているために不法移民が多く、問題もありながら、一方で移民の労働力に依存している部分もあり、またこの映画に見られるように、心情的にもメキシコ人に親近感を持つことも多くあります。連邦政府の方針で国境警備隊が増強され、そうした複雑な事情のわからない北のほうからやってきた新任の警備隊員が、事件の発端となる、という話の筋も、なんだか妙にタイムリーで、皮肉かつリアリスティックな舞台設定だと思いました。
そんな中で、国境の町は孤独で荒れ果てています。日本の田舎なら、古くから伝わるお祭りや慣習があったりして、それなりに色彩豊かですが、アメリカの田舎にはそういうものがありません。そして、国境はさらに、流れ者が多い砂漠の町で、都会のような遊ぶ場所もなく、荒くれ者たちの楽しみといえば、酒と女ぐらいしかない。伝統的な西部劇では、昔のそんな西部の町をノスタルジックに描きますが、この映画では、今現実の国境の町が、きっとこんなだろうな、と納得されるリアリティで描かれ、そしておそらくは、こうした味気も色気もない、殺伐とした生活というのが、昔の西部でも現実だったんだろうな・・などと、余計なことも考えました。
その町で暮らす人々は、みな孤独です。主人公ピートも、殺伐とした人生を送ってきて、メルキアデスはおそらく、唯一の友人と呼べる者だったのでしょう。そして、旅の途中で出会う、盲目の老人は、もっとすごい究極の孤独を象徴しています。すぐに群れたがる日本人なら、すぐに逃げ出したくなってしまう、痛いほどの孤独を引きずって、それぞれに生きている。そうした環境での友情というのも、また独特な形をもって表現されます。
「ブロークバック・マウンテン」でも感じた、アメリカ人の心情の底にある、孤独をそれなりに受け入れる姿勢というのか、強さというのか、そういったものをこの映画でも感じました。そして、ちょっと意外な終わり方が、殺伐としたお話の果てに、不思議な安堵感、一筋の希望をもたらしてくれます。ちょっと、不思議感のある、モダン・ウェスタンでした。
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2006年06月12日
「カーズ」 壮大で贅沢なアメリカン・ノスタルジア
日本や欧州では、ワールドカップ・サッカーのために遅れて公開という話ですが、アメリカでは一部の学校では夏休みの始まったこの週末、ピクサーの「カーズ Cars」が始まりました。
金曜日の地元新聞の評価は意外に低く、「ん?」と思っていましたが、うーんなるほど、確かに子供向けの映画としてはちょっと長く(2時間10分)、中盤ちょっとお話のテンポが落ちてややダレ気味になります。ストーリーそのものは、自分のことだけしか考えない大スターのレースカーが、あるとき大幅に道からそれてしまい(文字通り・・)、思いがけない友人たちに助けられて改心する、という、ありがちなストーリーで、先日見た「森のリトルギャング(Over the Hedge)」のようなシャープなお笑い要素も少なく、その意味ではちょっとありきたりかな~、といえないこともありません。
でも、それを補って余りあるぐらい、アメリカ西部の岩山と砂漠の壮大な風景や、実写ではゼッタイに撮れない視点から映したスピード感あふれる自動車レース、インターステート・ハイウェイの両側を地平線まで続く果樹園やはるか高い岩山から流れ落ちる滝、レトロなネオンに彩られた1950年代風のノスタルジックな町並みなど、次々と展開する壮大なアメリカの風景が、実に贅沢で美しく、自動車たちのつや感や豊かな表情も合わせて、見る価値は十分あると思いました。最近すっかり多くなってしまった並み居るCGIアニメ群に対して、ピクサーが「技術力なら、自分たちに勝てる相手はいないぞ」と見せ付けているようです。
実際、この映画は、美しい景観があふれ人が温かかった古きよきアメリカに対するノスタルジーを、臆面もなく前面に押し出していると感じました。登場するのが、アメリカ文明の象徴ともいえる「自動車」というのも、それを強調しています。この手の巨額予算大作映画は、世界で売れないとモトがとれないために、どんどん「無国籍化」するという最近の傾向に、逆行しているというか、わざとそれに対するアンチテーゼを出していると言えるかもしれません。
子供向けとしてはややマイナスにもなりかねない、中盤のドラマにたっぷり時間をかけいるし、これほどの壮大なCGIってきっとものすごいお金かかってるんだろうなぁ、単に儲けようというのではないんじゃないか、作った人たちは、何を言いたくて、何をやりたくて、こうやってるんだろう・・とつい考え、その場限りのドタバタ劇やお笑いでなく、技術の限界とCGI独特の芸術性といった、スケールの大きい新しいものを何か追求しているのかな、とふと思ったのですが、買いかぶりすぎでしょうか・・・?
とにかく、この作品を見るなら、劇場で見ることをお勧めします。小さいテレビでDVDで見たら価値は半分以下になってしまいそうです。家で見るなら、大画面のテレビが必要でしょう。その意味でも、これってますますアメリカ向けの作品なのかも・・・
「カーズ」 壮大で贅沢なアメリカン・ノスタルジア on アメリカ映画 : 10:04 | コメント (0) | トラックバック
2006年05月27日
「ダ・ヴィンチ・コード」大長編小説の映画化の難しさとアメリカの「悪評」
アメリカでは散々な批評を浴びまくっている「ダ・ヴィンチ」ですが、やはり話題作ですし、原作を読んで楽しみにしていたので、見に行ってきました。
悪評は、やたらに話題が派手で期待が高かった分、落差が大きかったことも原因かと思いますが、普通の映画だと思えばそれほど悪くはないと思いました。ただ、確かに、分量が多くて中身の濃い原作を映画にすることの難しさが如実に出てしまった、という感じがしました。
あの原作をきちんと映画にしようとしたら膨大な分量になってしまうので、カーチェイスだの飛行機で逃げ回るだの、いかにも「ハリウッド映画っぽい」場面を中心にして、記号論と歴史の暗闇の謎解き部分は、登場人物の会話に詰め込まざるを得ない、そのためにやたら簡単に謎が解けてしまうし、その謎にまつわる背後の深みのようなものが描けない、ということになります。
かといって、あまりに複雑な背景があるので、会話部分やフラッシュバックだけでは、原作を読んでいない人には結局なんだかよくわからない。一緒に見に行った夫は原作を読んでいなかったので、帰りの車の中で質問攻めにあいました。
それでも、俳優の演技がよいとか、独特の雰囲気があるとか、別の味わいがあればいいのですが、主人公二人は前評判どおり、薄味な感じでしたし(イアン・マッケランはよかった)、ほの暗い歴史と宗教の暗部の雰囲気が、そういうわけで端折られてしまって、「なーんだ、やっぱりハリウッドはカーチェイスか・・」という残念さが残ります。
昨年夏の日本映画、「亡国のイージス」でも、原作を読んでいない人にはわかりにくい、原作を読んだ人には物足りない、という批評がずいぶんあったのを思い出しました。しかし、そうはいってもどちらも興行的にはヒットしているので、よいのでしょう。
ちなみに、アメリカではカトリックを悪者のように描いているために批判が強くいまひとつの成績、という見方が日本ではあるようですが、映画評を読む限り、この点を指摘しているものはほとんどなく、いずれも上記のような、ストーリーのわかりにくさと主演二人の演技を問題にしています。確かに、シンプル化のために、カトリックの組織を原作以上に単純な悪者にしているように見えますが、それはあまり影響がないのではないかと思います。
「ダ・ヴィンチ・コード」大長編小説の映画化の難しさとアメリカの「悪評」 on アメリカ映画 : 07:38 | コメント (0) | トラックバック
2006年05月22日
「Over The Hedge」 子供アニメのくせに、不動産バブル時代の皮肉が利いたシャープな笑い
もちろん、ホントは「ダ・ヴィンチ・コード」を見たかったのですが、結局週末は息子とその友達を連れて、ドリームワークスの新作アニメ、「Over The Hedge」を見るはめになりました。
最近、やたらと動物のCGアニメが多い中、この作品は前評判が高かっただけあって、子供のお供で仕方なくチケット代を払う大人にもサービス満点です。メインの主人公だけでなく、動物たち皆のキャラがそれぞれに際立ち、それぞれが動物たちの策略や予期せぬ事態の打開策の中で、それぞれに役割を担っていくというキメ細かいプロット、そして極めつけ「悪役」キャラが不動産屋の女性というのが、最近のアメリカの状況をするどく皮肉っていて、大笑いしてしまいました。
アメリカはここ数年、景気はあまりよくないのに不動産だけが上がり続けるという、不動産バブルが続いています。バブルに乗って山林を切り開き、最近流行のスタイルの住宅が次々と建てられ「サバービア」(郊外)となっていく風景。それをがんがん売りまくる妙に派手ないでたちのハイパワー女性不動産屋。動物の被害で家の値段が下がってしまうことをやたら気にする住民たち。こんな物語の背景は、ピカピカで高価な住宅に手が出なくなってしまった多くのアメリカ人には身近な話題であり、かく言う私も、こうした風潮に動物たちが逆襲するお話に思わず快哉を叫びたくなってしまいました。
もちろん、どんどん進化するCGIは相変わらずすごく、動物たちのつややかな毛並みがキレイです。それに、ブルース・ウィリス、ニック・ノルティ、アヴリル・ラヴィーンや、あの「サイドウェイズ」のトーマス・ヘイドン・チャーチなど、有名人いっぱいの声の出演も楽しく、大人の私の目から見ると、「インクレディブルズ」や「チキン・リトル」などの最近の人気CGアニメと比べても、一番と言えるぐらいの面白さでした。そして子供たちには、かわいらしい動物のキャラや、大げさに衝突したり爆発したり、地球の回転が止まったりするお笑い表現などに加え、ヒップホップ調のオネエ・スカンク、ゲームに熱中するハリネズミの子供たちの活躍など、今風の身近さとシャープさがウケていたようです。
子供たちの見ているこうしたアニメ映画やテレビ番組を見ていて、宮崎駿の「ハウルの動く城」が昨年アメリカではあまり受けなかったのが、仕方ないかな、と思えてしまいます。アンデルセン童話的な、白人だけが登場するヨーロッパ的なメルヘンの世界というのは、今のアメリカ人の子供や若者には、共感もあこがれも得られないのではないかという気がします。ジブリ次回作、宮崎吾朗の「ゲド戦記」も、私の見ている英語メディアでは、「白人ばかりのヨーロッパ仕立てで新味がない」という評を見かけます。日本ではまだまだそういった世界を憧れをもって見るのだと思いますが、アメリカのマーケットの好みとずれてきてしまっているような、そんな気がして、心配です。
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2006年05月12日
「クラッシュ」あまりにアグリーで透明な現実の刃
お久しぶりです。なかなか、映画見に行くヒマがありません。それで、もう日本でもとっくに公開されたし、アカデミー賞の話題もはるか彼方の話なのだけれど、ようやくDVDで見られた「クラッシュ」、やや予想外の映画でもあり、ちょっと感想を書いてみます。
5月5日は、日本では子供の日ですが、当地では「シンコ・デ・マヨ」(スペイン語で「5月5日」)という、メキシコの独立記念日にあたり、これを一部の人々は祝います。そのちょっと前に全米各地で、ヒスパニック系を中心とする不法移民達が一斉に職場放棄して、ブッシュ政権の不法移民取り締まりの強化に反対するデモを行いました。「911」(同時多発テロ)以来、マイノリティや移民に対するアメリカの空気は、どんどん厳しくなっています。アメリカの中でも、私の住むカリフォルニアは、外国生まれの移民が数も多く、ハイテク産業から農業や家内労働まで、いろいろな分野で生活を支えています。そのため、マイノリティやその人たちと直接接するマジョリティの白人も、逃げようにも逃げられないお互いの関係に、フラストレーションがたまっているように思います。
特に、この映画の舞台となったロサンゼルスは、その関係が一番厳しい土地だと思います。「クラッシュ」では、ロスの一角で、白人の政治家とその妻、黒人の刑事とヒスパニックのガールフレンド、黒人の若者、イラン系家族、裕福な黒人夫婦と労働者の家族、中国系の男、などいろいろなエスニックの人々が、どこかで関連しながら小さな事件、大きな事件を起こしていきます。誰が主役かわからない群像劇で、おとぎ話のような数多くのエピソードが次々と重なっていきます。
その中で登場人物達は、普段皆が腹の中のどこかで思っていても口にできない差別的なことを、堂々と言い放ちます。あまりにアグリーですが、「あー、でもそういうこと、あるよな」、「あー、こういうこと言いそうなやつ、いるよな」とどこかで共感するリアリティがあります。ここまではっきり言っちゃうとかえってスッキリする、かえって笑えてしまう、ような快感と言ってもいいかもしれません。
その一方で、お話は予想外の展開が次々と起こり、悪いヤツに見えていたヤツが実はそうでもなかったり、その逆だったり。この人とこの人はどこでどうつながるのか。あらゆる悪いものが一斉に飛び出した後に、一匹の「希望」が最後に残る、パンドラの箱かとほのぼのすると、今度はどーんと落とされます。事件の起こる時間や場所や人物が次々と変わっていく割りに、ごちゃごちゃにならず、引っ張り込まれるのは、ストーリーの面白さと、印象の強い登場人物達を演ずる、俳優さんたちの力ではないかと思います。
特に、「いい子チャン」役が多い印象のあるサンドラ・ブロックが、いかにも上流の白人女性にありそーなイヤーな女をガンガン演じているのが新鮮です。「ホテル・ルワンダ」のドン・チードルなど、他の役者さんも、みな熱演です。
このところ、「いい映画」と言われる映画は、いいのだけど私には見ていて苦しいものが多く、これもその一つかと思っていましたが、しゃれた音楽や画面のつくりも手伝って、意外に突き抜けたような軽さと透明感があります。かさにかかってマイノリティを圧迫する、最近の右傾化したアメリカのマジョリティに「どぉだー!」と「現実」という刃をつきつけているような、そんな快哉の感覚が残る映画でした。
なお、今回の「いい男」収穫は、黒人音楽プロデューサー役のテレンス・ハワードですねっ!品があって優しげで、複雑な思いを表現した表情の演技がすばらしかったです。
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2006年04月03日
インディ映画プロモーションのウェブ戦略
これって、前からそうだったのでしょうか?私自身は、映画関連のサイトを運営するようになってから日が浅いので、軽い驚きなのですが。
ファンサイトなどで、映画のスチル写真を使うことはご法度で、日本のファン・コミュニティの間ではとても気を使っていることが多いと思います。また、日本映画の素材をサイトで使うためには、「法人運営サイトでないとダメ」とか、「登録しなきゃいけないけど登録は簡単に受け付けてくれない」というのが普通です。邦画の製作会社に問い合わせを入れても、返事すらもらえないのが普通。
その感覚に慣れていたので、最近、アメリカで公開される日本映画や、日本人俳優さんの出ている映画に関して、米国配給会社側がむしろ積極的に私のような、ネット上のコミュニティにアプローチしてくれることがいくつかあり、「はー、なるほど、さすがアメリカ、立場が違うと柔軟にやり方が変わるのだな~。」と感心しています。
例えば、先日劇場公開がなくなったとの記事を書いた「隠し剣、鬼の爪」の配給会社Tartanは、一本問い合わせの電話をしたら、何も聞かずにすぐにスチル写真をくれました。真田広之さん主演の中国映画、「プロミス」の配給会社Warner Independent Picturesは、予告編ビデオのアドレスをびっしり入れた案内のメールを、こちらからの問い合わせすらしていないのに送りつけてきて、本当にびっくりしました。同じく真田広之さん出演で、英米では今年秋の公開を予定している「Sunshine」(これはインディというにはちょっとビッグですが)では、公式サイトが(ちょっと法律専門的で済みませんが)「クリエイティブ・コモンズ」という、ある程度の制限条件を満たせば、自由にサイトの中身を利用してよい、という、普通の「全権利保有」とは違うやり方にしており、ファンサイトで写真などを利用して映画の宣伝をしてもOK(ただし、非営利の利用に限る、引用元を必ず明記すること、中身の改変はしないこと、という条件を満たさないといけませんが)ということになります。
大作映画ではこうはいかないのでしょうが、宣伝にお金をかけられない独立系映画や外国映画では、著作権をうるさく制限するより、オープンにしてファンの口コミを利用するほうがトクなのでしょうね。アメリカではマイナーな、日本映画をプロモートしたい私にとっては、とても嬉しいことです。
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2006年03月28日
「Good Night, and Good Luck」アメリカン・ジャーナリズムの良心、再び。
最近、局地的に問題になっているNetflixの「差別的扱い」のおかげで、出たてホヤホヤの「Good Night, and Good Luck」のDVDがきました。(品薄のものはヘビー・ユーザーよりもライト・ユーザーを優先するというNetflixのポリシーのことで、これがサービス規約違反だと訴訟を起こしたヤツがいます・・)
アメリカのジャーナリズムが権力に立ち向かう構図の話は、よくあります。古くは「大統領の陰謀」とか、比較的最近のものでは、(実はラッセル・クロウものではこれが一番好きという)「インサイダー」なんてのもあります。そういう意味では、この映画も特に目新しいものではありませんが、現政権への批判を繰り返してきたジョージ・クルーニー(脚本・監督・助演)が、風向きの変わった昨年になってこれを世に出したというところが、ミソというべきなのでしょう。(あれ、彼の助演男優はこれでしたっけ?それともSyrianaでしたっけ??)
1950年代、アメリカでマッカーシズム(いわゆる赤狩り)の嵐が吹き荒れていた頃、スポンサーやテレビ局上層部からのプレッシャーに負けずに、言論の自由を守るべくこれに反対した番組を流し、今日のテレビ・ジャーナリズムの基礎を築いた、エド・マローという実在のCBSのニュースキャスターのお話です。当時のマッカーシーの実際の映像を使い、またマロー自身が番組やスピーチの場でしゃべる台詞も実際そのまま、映像はすべて白黒、音楽は番組で流しているという設定のライブ・ジャズのみで全くの音無し状態が多い、全体に静かで淡々とした凝った作りになっています。
テーマ自体はそういうわけで、目新しいというより、何年かに一度、こういうのを思い出させるものを繰り返しやる、というのが、アメリカなんだろうな・・・という印象です。派手な事件が起こるわけではなく(というか、実はものすごく起こるのですが、それらをすべてわざと淡々と描いている)、台詞の応酬で筋を展開していくのですが、なにせ格調高い昔風の英語なもので、何を言っているかわからない部分が多く、特に某氏が途中、xxしてしまうくだりは、一緒に見ていた亭主と「え?なんで?」と聞きあっても、どっちもわかっていませんでした・・・(泣)
最後の最後まで、淡々とした、むしろ単調なペースで進むお話で、ちょっとついていくのはツラかったですが、例えば今のCBSの「60 minutes」などの番組が、こうした流れをくんでいるのだろうと思ったり、911以降のアメリカの右傾化とメディ

