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監督 佐々部 清さん インタビュー (4)

こんにちは、管理人のサクラです。

ふだん、なかなか知ることのできない映画撮影の裏側。
このシーンは、どうやって作られたのか、どんな思いだったのか―。とても興味がありますよね。

監督インタビュー4回目は、ある重要なシーンが決定した瞬間のことを、佐々部監督が語ってくれました!

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Vol.4 ファーストシーンとラストシーンは、こうして決まった

祈りを捧げる小学生たちとの出会い

ロケハンをしていると、いろんな出会いがあります。偶然の出会いにインスピレーションを受けて、それが映画に反映されることもある。
今回、もっとも心に響いたのは、広島平和記念公園でロケハンをしていたときに出会った、40人の小学生たちでした。

佐々部清監督

彼らは『原爆の子の像(※1)』の下で、小さな手を合わせて祈りを捧げていた。
「昭和20年8月6日、ここに原爆が落ちました。私たちは、僕たちは、二度とこの戦争を繰り返しません。」と呼びかけながら。聞けば、彼らは平和学習のために愛媛からやってきたという。

僕はその姿を見て、涙が止まらなくなっちゃって……。恥ずかしいから像の後に隠れようとしたら、美術監督が、すでに隠れてました。(笑)それで、ふたりで顔を見合わせて「たまならいね」って。

(※1)2歳の時に被爆し、10年後に白血病を発病して亡くなった佐々木貞子さんの像


映画のファーストカットとラストカットが決まった瞬間

このときに、ファーストカットとラストカットは、『原爆の子の像』にしようと決めました。

この像のモデルとなっている佐々木貞子さんは、被爆してから10年後に亡くなっているんです。
『原爆の子の像』は、この物語の始まる昭和33年に建てられたので、この像で始まり、この像で終わるのが、ふさわしいだろうと思ったんですよ。

それで撮影本番には、わざわざ愛媛から小学生のみなさんに来ていただき、ロケハンのときと同じように、祈りのシーンを再現してもらって撮りました。
彼らと偶然の出会いが、この映画に対する私の覚悟を、決めてくれたような気がします。

=続く=

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次回は佐々部監督のインタビュー5回目を、6月1日に更新の予定です!
撮影中に「“映画の神様”が舞い降りた」と感じた瞬間について語っていただきました。
お楽しみに。

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コメント (1)

正名 邦彦 :

始めて投稿します。
 私がこの作品と出合ったのは、平成16年の暮れでした。悲劇であり、悲しい出来事を、たんたんと過去の事実として描いていることが、とても胸に刻まれました。
 私たちは、物事のすべてを見ることや理解することなどできない。でも、自分が体験したことや思いは、事実。
 それぞれの時代に生きた思い、そして、疑問を正直にあらわす場面の一つ一つに心を奪われました。
 そして、何より感動したことは、みんなが幸福であったことです。それが、うれしい。悲しみや苦しみも含め幸福だと
 映画化、公開が楽しみです。

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