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藤村志保さんのトークショーが行われました!

こんにちは、管理人のサクラです。

今回は、新宿シネマスクエアとうきゅうで8月26日に開催された、藤村志保さんのトークショーの模様をお届けします。

藤村さんは、映画「夕凪の街 桜の国」で、ふたつの時代を結ぶ重要な役どころである「フジミ」を演じたベテラン女優さん。

佐々部監督作品としては、2005年に公開された「カーテンコール」に続いて2回目の登場とあって、佐々部監督からの信頼も絶大です。

新宿シネマスクエアとうきゅうでの上映も、残すところあと1週間となったこの日、
この映画に込めた熱い思いを語ってくださいました!

上映終了後の余韻も冷めやらぬなか、しっとりとした着物姿に、上品で美しい微笑みをたずさえ、私たちの前に登場した藤村志保さん。

司会:いつもお着物姿が素敵ですね。外は暑いですが、藤村さんは、とても涼やかに見えます。
藤村:そう?でも、本当は暑いのよ。(笑)
やっぱりお洋服の方が楽だわよね。でも、着物をきますとね、なんとなく背筋がぴんとするような気がします。

司会:とても素敵です。さっそくですが、皆さまにひと言ご挨拶をお願いします。

藤村:皆さま、今日はお暑いなか、ようこそいらっしゃいました。
この劇場では、今週いっぱいで上映終了となりますが、こんなに多くの皆さまがいらしてくださって、本当に嬉しゅうございます。
これから少しの時間ではございますが、皆さまとお話しさせていただければと思います。

司会:さっそくですが、はじめて脚本をお読みになって、フジミという女性に出会ったときの印象をお聞かせいただけますか。

藤村:やはり、子どもの頃に戦争を体験した私たちの世代にとってはね、こういう映画に出演をさせていただくってことは、とても意味のあることですし、このフジミというお母さんを、なんとか演じきりたいという思いが湧いてまいりましたね。

司会:フジミという役は、皆実のお母さんであり、七海のおばあちゃんであり、ふたつの時代をつなぐ女性であったと思うんですが、実際に演じるうえで心がけたこと、大切にされたことはどういうことですか?

藤村:フジミさんは、原爆で家族を失って、とても辛い経験をしたんですね。でも、そのことに対して、恨みつらみや愚痴を言うことは一切ないんです。辛い経験をたくさんしているのに、一切泣き言を口にしないで、ただ、毎日を一生懸命、ひたむきに生きているんですね。
でも、ひとり生き残った自分の息子・旭が、被爆2世のお嬢さんと結婚したいと言ったときに、はじめて「うちはなんで死ねんのかね。うちは、原爆で死ぬ人を見るのが、もういやなんよ」とはじめてその辛さをポツリと口にするんです。
あのたったひと言のセリフのなかに、フジミの万感の思いが込められていたと思うんです。
だから、あのシーンを撮る前後は、いつも以上に自分の思いを深くしながら演じました。
愚痴を一切言わないで、ただ一日一日を大切に生きてきたフジミが、最後には孫を見定める力もなくなってしまって…。いろいろと胸に響くものがあり、演じながら、良いお役をいただけたなぁと、しみじみ感じました。

大きい映画から小さい映画まで、年間何百本の映画が作られていても、実際にお客様の目にふれることのできる映画というのは限られていて、どんなに思いを込め作っても、皆さまに見ていただいて、何かを感じていただけないと、私たちの仕事は意味を失くしてしまうんです。
やはり、見てくださった方のお心にどう届くかということが大切なんです。
その思いは、皆さまにちゃんと、届きましたでしょうか?

―――会場から大きな拍手が沸き起こる

藤村:嬉しいわ!監督さんにもお伝えしなきゃ。

司会:続いて、撮影に関するお話をお聞きします。
昭和33年の広島のバラックを、オープンセットで作られたとき、藤村さんが実際にお持ちだったものを、小道具として持ち込まれたそうですね。

藤村:ええ、でも、たいしたものじゃないんですよ。(笑)
私は、実際に、当時の広島のバラックを見たことはないんですけど、終戦後の日本には、大なり小なり、同じようなバラックが、あちこちの街に建てられていたんです。私が住んでいた川崎の街にも、似たようなバラックがありましたからね。

昭和30年代といえば、私がちょうど中学生の頃だったんですが、その当時、母が使用していた布団たたきや、物差しなんかを、私はまだ捨てられずに持っていたんですよ。
それで、ちょうど年代も同じだし、こうした道具を、あのセットのバラックのなかに置いておけば、生活感が出るかな、と思いましてね。
でも、美術監督さんが、しっかりと時代考証をして、ほとんどの持ち物はそろえてくださってましたから、私が持ち込む必要はなかったんですけどね。でも私は、母が使い古したあの時代のものを、私のそばに置いておきたかったんです。

司会:そこに、この映画にかける思いが息づいていたのかもしれませんね。
最後に、もうひと言メッセージをお願いします。

藤村:私たちが、いくら一生懸命映画を作りましても、もし、どなたも見てくださらなければ、なんの意味もない。ですから、今日こうして足を運んでくださった皆さまに、本当に感謝いたします。

この映画を通して、平和の尊さや、一生懸命生きることの素晴らしさ、そして家族の大切さなどを少しでも感じていただき、ご家族やお友だちと、仲良く元気に毎日を暮らしていただけたら、幸せだなぁと思います。
皆さまの幸せを、陰ながらお祈りしております。

司会:本日は、どうもありがとうございました!

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藤村さんの言葉には重みがあり、戦争を体験された方だからこそ、伝えることのできる思いがあるのだろうと感じました。

そしてもっとも印象的だったのは、トークショー終了後に、出口の前に立って、見に来てくださったお客様ひとりひとりと握手を交わす藤村さんの姿でした。

お客様ひとりひとりを大切にし、映画に対して真剣に向き合っていらっしゃる藤村さんの俳優魂を、垣間見せていただいたような気がしました。

藤村志保さん、素敵な時間をありがとうございました!

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コメント (6)

山口の者 :

藤村さんは、『カーテンコール』でも本作でも、全てを「見守ってきた」役だったと思います。
(『てるてる家族』の時もそうだった気が…)
女優として、芸能界の一つの「指針」として、まだまだ色んな作品に登場して頂きたいです。

どら猫 :

「夕凪の街 桜の国」
本当に素晴らしい映画です。
合計3回も見に行ってしまいました。(そんなに見るくらいならDVDが出たら買えば良いのにと思いながら。)
藤村さんが映画の中で言われました「うちはなんで死ねんのかね。うちは、原爆で死ぬ人を見るのが、もういやなんよ。」
と言う言葉は大変心に残っています。
原爆によって一度にたくさんの人が亡くなり、生き残った被爆者もいつ死んでもおかしくない状況になった。
そして、被爆者の子孫は実際には被爆していなくても、いつ死んでもおかしくない状況にあるという現実。
本当にむごい現実です。
この原作はアメリカでも英訳されているそうですが、アメリカの人にも見てもらいたい映画です。
アメリカにとっては原爆投下の問題は正当な行為だと主張したいでしょう。
しかし、この映画を見たら、人として原爆投下の問題は正しかったかどうかは分かると思います。
(アメリカが原爆投下を日本以外にしていない所を見れば、本心は2度と起こしてはならない問題だと考えていると思いたいです。)

山本 雄三 :

広島出身だからというきっかけもありましたが とにかく感動しました。
大げさではなく一生に残る人生の糧となる映画にめぐり会えたことに感謝します。
息子を二人持つ52歳の親父ではありますが原作も知らなかったので今時「夕凪」なんて言葉は死語となっている以上 一番観てほしい若い世代で「ゆうなぎ」と読める人なんていないと憤慨したのも事実です。
実際うちの会社の20代の女性で 読めた子は5人中一人もいませんでした。「夕凪」という言葉自体を知らない子も3人いました。
これでは口コミも効かないではないか!と・・・だから 観終わってあまりの素晴らしさに一人でも多くの人に観てもらいたいと一人宣伝マンを自覚した次第です。
ネットとかでも 映画友達にも・・・何人にも勧めて もう10人ぐらいは見てくれました!
みんな良かったと言ってくれて・・・その言葉にまた感動です。
地味な公開だったから どんどん上映が終了していく中で今度3度目を行きます。
地元のさいたまでは いっこうにやらないので12スクリーンもあるシネコンにメールで問い合わせもしましたが 予定はないとのつれない返事。
漫画ばかりスクリーンを占拠している中で 9月からでも 公開開始となる劇場もあるのだから これは残念なことです。
そんな中で先日、街中で9月27日に地元浦和のさいたま会館で1日だけのホール上映があることをたまたま掲示板に貼られたポスターで発見!
しかも佐々部監督のエンドトークもあるとか・・・
これは もう絶対必見ですね!もっと掲示しろよ!!どこが主催なんだ!とつい 口走ってしまいました。でも 平日でも こうやって小ホールででもやってくれるだけでもありがたいものです!
なにしろ埼玉は川口のオープンセットや荒川でしたっけ?あそこで撮影した作品なのに!
ミーハーながら木村拓哉の「ヒーロー」に行きたがっている女房を説得してつき合わせるか・・・・(笑)

それにしてもあの曲がまた素晴らしく 耳から離れないためにサントラを探し求めましたがどこも売り切れ。それなら追加注文でもすればいいのに!とまたまた憤慨しながらも取り寄せて購入し もう毎日通勤途中に聞いています。あのメロディが流れだすととたんに涙があふれてしまって・・・こんな経験は 学生の頃観た「ひまわり」のヘンリーマンシーニの曲以来です。作曲は村松さんという方ですが 凄いですね! 控えめで さりげない音の入れ方。
それなのに ストレートに響くあのメロディ。どこかの アニメ映画の曲のようにこれでもかと大音響で響きわたるメロディとは大違い。これぞ映画音楽ではないですか!
もう これだけで村松さんのファンになってしまいました。
ストーリー同様にやさしさあふれるピアノにハープにそしてハーモニカ!
素晴らしい音楽をありがとうございました!

肝心な映画にはケチをつけるところはひとつもなく どうしても あのシーンこのシーンでは 涙がこみあげてしまいます。
最初に観たときは 正直言って途中のラブホテルのシーンでは少し中だるみ感を覚えたのですが 二度目を観た時 気がつきました。
あのシーンでは この作品のテーマともなるような重要なセリフを七波がしているではないですか!
反省しきりです。
麻生久美子さんには脱帽ものですし 田中麗奈さんにもはっきり言って 驚きの収穫がありました。

自分は大学からこちらの生活なので もう広島弁も帰省したときにでさえ自分の口からは出なくなってしまった自分が悲しいのですが 藤村さんのさりげない広島弁の喋り方には全く違和感もなく 感心しきり。
シネマスクエアでのトークショーには都合で行けなかったので ここでそのレポートを拝見し悔やんでいます。
自分の子供時代の思い出が すべてこの映画には詰まっています。
なにしろ皆実が靴を脱いで歩いた川端の近くに実家があったものですから・・・
先月のお盆に帰省した際には 思わずロケ現場を一人で歩き回ってしまったほどです。いつも平和公園には帰省のたびに必ず 一人で散歩をしていましたがこの夏は特に楽しみが増えたわけです。
あのアカシアの樹の前で30分間 映画の思い出に浸ってしまいました。
さすが 左側にあるはずの おじぞうさんは 小道具だからありませんでしたが・・・(笑)
でもって 映画の中で語られるとおり 広島の人は 原爆のことをあまり語りません。当たり前のように・・・もちろん家族に対してでもです。
自分もそうやって育ちました。
今は 認知症にかかって グループホームにお世話になっている親父からも原爆のことは 結局一言も聞かないうちに自分が親父になつてしまいました。
飛行隊の整備兵として九州の大村だったかな?に行っていた親父以外はみんな被爆しています。
お袋は県外の出身で もちろんまだ親父とは結婚していませんでしたから自分は被爆二世ではありません。
被爆した祖母や親父の兄弟は みんな元気で自分の成長の中に写っていました。ただ それは表向きだけだったのかもしれません。
昨年亡くなった親父の弟も 元気なのになぜ 子供が出来ないのか?
奥さんに原因があるのか? つくらないのか?
今考えると なんと失礼なことを・・・・つい 昨年亡くなった直後まで 自分のお袋に聞いていたのです。
今回、この映画を観て 恥ずかしながらわかったような気がします。
この映画の主人公たちは みんな普通の人。
普通の人生を生きていくはずだった人達です。
そして それは 今の自分の人生でもありました。
同じ昭和33年を描いていた「三丁目の夕日」も大好きな作品でしたが どうして こうも全てが違うのか?
同じ日本でも 広島のこの場所と東京タワーの下とは これほどまでに違っていたのか?
子供時代の 記憶ながら 基町のバラックには 強い印象を持っていますがこの作品に触れることが出来、改めてあの時代のあの広島に自分も生きていたことを誇りに思います。
そして 自分の息子たちにこの経験を語り継がなければいけないと 再認識しました。
今すんでいる浦和にも あの桜の国のような 桜並木があるので春になったらなったで また暑い夏が来たら来たで その都度 この映画のことが蘇るでしょう!
この映画に 出会えたことは 自分の宝です!
この作品に関わったみなさんに ありがとうと言いたいです。
本当にありがとう!
あっ まだ上映が続く限り 一人でも多くの人に この作品を薦めますよ!


JERRY :

直接関係のないコメントで申し訳ありません。
「広島のある日本のある世界を愛するすべての人へ」とあるように、僕もこの作品は日本人はもちろん、海外の方にももっと観てもらうべき映画と思っていて、幸い僕には海外に数多くの友人がいるので、DVDが出たら購入して見せようと思っていたのですが、実際発売されたものには英語字幕がありませんでした。こういう内容の映画なのに信じられないです。複雑で深い内容の映画なので、横で通訳しながら見せるわけにもいきません。次回発売のものには必ず英語字幕をお願いします。
この声が届くことを祈っています。

静岡在住 :

本日、このDVDを見ました。現在、私の実の姉が広島に住んでおります。8年ほど前に義兄が43歳の若さで突然亡くなりました。原因は不明でした。義兄の両親は被爆しておりました。映画で知りましたが、被爆二世でした。戦後60年たっておりますが、まだ、このようなことが現実であることを認識しました。静岡の生まれなのに、このような現実に遭遇するとは思いませんでした。当時小学生であった姉の一番下の子が最近結婚しました。子供も生まれます。まだ、このような現実が続くのでしょうか。

理穂 :

『夕凪の街桜の国』ずっとみたかった映画です。今日やっとDVDをみました。尊い命が、普通の暮らしが、何気ない日常がすべて奪われたこと、たくさんの苦しみ、悲しみが今もあるこを、決して忘れてはいけないとあらためて思いました。
私も広島の人間です。丁度皆実や七波と同世代です。毎年8月6日8時15分には、黙とうをして祈りを捧げます。私の祖母は入市被爆し、59歳の時癌で亡くなりました。被爆から41年が過ぎていました。原爆が、41年もたって祖母の命を連れ去ってしまいました。被爆さえしなければ、癌なんかにならなかったのではと、今でも思います。
 原爆投下は、決して過去のできごとではないと思っています。今もなお後遺症で苦しむ人が沢山おられます。二度と過ちが繰り返されないためにも、原爆のことを、祖母のことを後世に伝えていかなければと思いました。
 
 

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